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畠山勇一が起業を決意するまでの道 その3〜ムチャぶりで身につけた「逆算思考」〜

自分に、全てを失っても立て直す力を

家族に、他者に左右されない経済基盤を

起業家に、想いと社会を繋ぐ手助けを

 

それが僕が起業をすると決めた根底の想いです。

 

こんにちは!

起業家のためのUSPデザイナー畠山勇一です。

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さて今回は第3話です。

老人ホーム厨房調理師時代の話です。

(第1話「少年時代」はこちら)

(第2話「フリーターバンドマン時代」)

あれ?

畠山はフリーターバンドマンから音楽教室に雇われたんじゃないの?

と、前回からの続きを読んで思われた方も多いかと思いますが、

実はその間に老人ホームの厨房で働いていた時代があります。

 

なので、その部分を急遽追加しました。

 

正確に言うと、「バンド活動と掛け持ちで」働いていました。

(とはいえ、バンドでは利益は出てないのでこっちがメインですが 笑)

 

元々は某ファミレスのキッチンでアルバイトしていたのですが、

なんと、そのファミレスが土地の権利の関係で潰れまして、

転職することになりました。

 

僕はその時はとにかくバンドで売れたい!と思っていたので、

「バンド優先!」と考えていました。

 

そして、

「せっかく働くなら時間を無駄にしたくないから生活に活かせるものにしよう」

 

という考えで選んだのが、

 

「早朝6時から働く、老人ホームの給食調理」でした。

将来家族を持った時に

家事を分担してできるように料理を覚えたかったし、

 

8時間ガッツリ働いても15時には勤務終了です。

バンドはライブも含めて夕方以降が多かったので好都合でした。

 

人手が足りなかったらしく、即採用。

新しいアルバイトのスタートでした。

 

朝5時に家を出る生活の始まり。

 

そして、初日から洗礼を受けるのでした。

 

「未経験OK」と書かれていたので入ったのですが、

その厨房に並んでいるのは、

酒、醤油、みりん、砂糖、、、、

本当にちゃんと作る料理の厨房でした。

 

この時点では、

ファミレスのバイトで野菜切ったり炒めたり、

パックの調味ソースを食材と絡めたり

はできるようになっていましたが、

調味料を組み合わせて味をつけるなんて高度な調理はできませんでした。

 

初日なのに教育担当者も寝坊してなかなか来ない……

 

6時出勤で7時半には提供開始です。

 

遅くても7時には作り終わらないと間に合わない計算です。

つまり、1時間で36名分の食事を作らなければいけません。

 

しかも、一人ひとり対応が細かく違ったりします。

肉がダメな人だけは魚にしたり、歯がないから刻んで提供したり、

ミキサー食にしたり…想像を絶する対応の細かさです。

 

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※僕オリジナルなミキサー食。

ただのミキサー食ではなく、色の違う食材を別々にミキサーして絵を描いた

ラテアートのミキサー食版。

この頃から既に「異業種の偉業を真似る」という起業家魂を発揮していました

(ちなみに、これやり始めたのは相当慣れてからです ^^;)

 

なんとか教育担当が到着し、僕がいることで普段より人出が多いので、

間に合いましたけど、ヒヤヒヤもんでした ^^;

 

それから、ほぼ毎日その人に食らいついて、

一つ一つ、料理を作れるようにしていき、

まさかの2週間後には独り立ち…

スパルタすぎる…

 

もちろん、たった一人というわけではなく、

もうひとり、ベテランの方が盛り付けなどのサポートをしてくれるものの、

調理担当は僕

 

毎日たった1時間でどうやって調理をするか?を

ひたすら考えるムチャぶりが始まりました。

 

なので、前日のうちに出来る限り、電話で教育担当から情報を聞き出し

食材を、前日に仕込めるものは仕込み

複数の品目の調理なので、同時進行するためのフローを考え

イメージトレーニングを重ね、

 

それでも間に合わないから

少しでも、フライングスタートできるように出勤を早め

 

とにかく万全の準備をして毎朝臨んでいました。

 

シフトが休みの日は次の日が怖かったです。

前日に仕込めないので。

 

僕はこの仕事で、

起業家に必須の「逆算思考」を鍛えられたのでした。

 

「翌朝7時に何が何でも料理を提供するために、何を準備する?」

それを自発的に考え続ける毎日でした。

 

 

そして、

そんな職場のため、離職率も高く、

他の現場では30歳の元飲食店店長とかもすぐ辞めるような職場でした。

 

僕の現場でも厨房責任者が逃亡し

まともに調理ができて、個別対応もバッチリ理解しているのが僕しかいなかったため

働き始めて1年経たないうちに、僕は「厨房責任者」になっていました。

 

そして、「流石に厨房責任者をやりながらはバンド活動はデキない」と感じ

その時にバンド活動から足を洗いました。

(あれ?畠山、完全に音楽辞めたの?と思われそうですが、そうではないです。)

それからは、やりがいもありましたが、とても厳しい現実もまたありました。

 

 

 

 

(→次回「厨房責任者時代」へ続く。)

 

 

▶畠山勇一の記事一覧

 ▶伝わる文章が書けるようになるポイント

 ▶漫画風に読む、瀬名と愛実の起業奮闘記

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