USPプロデューサー鉾立由紀(ほこたて ゆき)プロフィール

USPプロデューサー 鉾立由紀です

人脈、実績、設立資金ゼロのサラリーマンから、会社設立3年で年商1億円を達成。

その成果の記録を基に、3000名以上の起業家の方々とビジネスの相談を行ってきました。そして430名以上の起業家の方々に月商7桁を越えるオリジナルビジネスをプロデュースしてきました。

 

日本の、そして世界の起業家の方々を「頭とスマホとパソコンがあれば、個人が世界を変えられる」、そんな自由と豊かさを伝播できる、そんな社会を創り上げるべく、日々、猛進しています。

「私にだってなにかできるはず!」と思い続けた子供時代

 

1972年3月、私は鹿児島で生まれました。 普通のサラリーマン家庭で育ち、とても過保護に育てられました。 しかし鹿児島という土地は、他県の方が思う以上に根強い男尊女卑の文化があり、私の家族も例外ではありませんでした。 いつも2歳年下の弟と比べられ、物心ついたころから「女の子は結婚するだけだから勉強しなくていい」と言われ続け、私の想いはいつも二の次、という子供時代をおくってきました。

 

そして、そんな抑圧された生活の中、私は自然と「私にだってなにかできるはず!」と思い始めるようになったのです。

 

普通の女の人で終わりたくない! 『お金』と『人脈』と『影響力』を手に入れて自分の好きなこと、やりたいことで思う存分成功してやる!!

 

鹿児島を出て、そんな夢を叶えたいと思うことは、私にとっては当たり前の流れだったと言えるでしょう。

挫折を繰り返した会社員時代

 

高校卒業後、私は無事、鹿児島を出て、英語をマスターし、カナダの大学院のMBA(経営学修士号)も取得しました。しかし日本に帰国後、私は大きな挫折を繰り返すこととなります。

 

MBA取得前に、私にはすでに4回の転職歴があり、そのため帰国後の転職は慎重に行う必要がありました。 しかし当時の私は「加速的に成果を出したい!」 という想いだけがいっぱい! そんな私ですから、就職活動の際、「自分の給与がどれだけアップするか? これからの私のキャリアに対してどれだけのメリットがあるか?」だけを考えて会社を選んでいたのです。

 

キャリアアップに対する前のめりな就職活動の結果として、日本帰国後の最初の就職先「日本テレコム」では、年収約700万円! その後の転職先の「Dell」では年収900万円! 日本の働く女性で年収1000万円を越えているのは、1%程と言いますから、私は大躍進を果たしたと言えるでしょう。

 

しかしそれは給与だけの話。年収だけを追い続けた結果「日本テレコム」を1年半で退社、その後の転職先「Dell」も勤務期間たったの8か月で退社してしまいます。 当然、どちらも仕事ができず、逃げるように辞めたのです。Dellを逃げるように辞めたときの私はすでにズタボロでした。

 

「私なんかがビジネスでの成功を望むべきではなかったのでは?」そう思い1人絶望の淵に立っていたのです。そんな中、私は友達の紹介で、ある外国人ヘッドハンター、チャックと出会いました。

 

「由紀、本当に食いっぱぐれたくないのなら、必要なのは、MBAでもマーケティングでもなく、営業力だよ!」

 

Dellを辞め、ただただ打ちひしがれ、どうしていいかわからなかった私は、そのチャックの一言をご縁と信じ、掴み取ることにしました。

 

私のことを拾ってくれたチャックのためにも、そして自分の将来のためにもと、決死の覚悟でヘッドハンティングの技術(営業技術)を学び、その結果、ヘッドハンターとなった初年度、私は年収1000万円、そして2年目、3年目には年収2000万円の快挙を達成することができました。

 

「これだけの年収を稼げるのであれば、これで一生順風満帆〜♫」

 

仕事に自信を持ちはじめ、これで本当の食いっぱぐれのない人生が始まる、そう確信し始めていた頃、2009年2月、リーマンショックの影響によって勤務していた会社が倒産。

 

「これで私もやっと成功を手に入れた……」、初めてそう安堵できた会社の、あまりにもあっけない最期でした。

いざ起業家としてデビューするも……

 

会社の倒産、そしてそのための解雇により、私は「真の成功とは?」というテーマについて半強制的に考えることとなりました。


そもそも、私が営業(ヘッドハンティング)の仕事をはじめたのは、営業こそが食いっぱぐれのない道だと信じたから。 私は子供の頃から仕事人として勝ち残るには自分の売りが必要だと思っていました。 だから私は英語の勉強もしましたし、経営学修士号だって取ったのです。

 

それなのに残念ながら私は売りを手にしても、転職したすべての企業でうまくやれませんでした。 営業も、マーケティングも、学歴も、食いっぱぐれのない人生を手にいれるために、何の役にも立たないなんて……。しかし自分の転職経験、リストラ、会社の倒産……、様々な経験を経て、私はあることに気がつきました。

 

それは「真の食いっぱぐれない人生をおくる方法とは、お客様すらまだ気がついていない問題の解決策の提案を誰より先に行うことなのでは?」と言うこと。

 

私はいつも、人のビジネスの仕組みの上で動いてきました。 だから、それが崩壊したとき、それを理解できなかったとき、私はその仕組みからあぶれてしまっていた……。

 

そう気がついたとき、私は自らに「企画創造力を身につける」ことを課しました。 そして「企画創造力を効率的に身につけるにはどうしたらいいのか?」と考え始めた時に、私はビジネスの師と出会ったのです。

 

師の教えを受け、学び、実行し、そして全てを記録する。

 

この数稽古を繰り返し、私は、起業家としてのデビューを果たしました。 師との出会いから約半年後の2011年4月、月商150万円を私は売り上げました。 パラレルワークでのスタートで、自分のビジネスで起業初月から7桁の売上を達成するなんて私にとっては夢のような話でした。

 

その後、2012年2月、起業家育成プログラム『The SUMMIT』を立ち上げ、一気に月商880万円まで駆け上がり、すぐにプロデュースする起業家の方々にも「起業準備4ヶ月半で月商316万円を達成!」などという快挙を出すことができました。

 

できるからやるのではなく、やるからできる!

 

それをスローガンに私はそこから調子づきます。やればやるほど売上があがる。 やればやるほど、門下生の成果につながる。 はじめは楽しくて仕方ない。 休みなんていらない、休憩なんていらないと、ただがむしゃらに走り続けました。 ……そしてそれが、みなが求めることだと信じ、他者にも強制していったのです。

 

……そしてそこから私は転落しはじめます。

 

起業家仲間とぶつかり、共にやっていた起業家仲間とのチームは離散しました。 私が他者のやり方を理解しようとせず、自分の主張ばかりしていたからです。

 

ある地方で立ち上げた私のチームコンサルは、あるたった1人の男性による脅迫騒動により、あっという間に解散に追い込まれました。

 

とりわけ辛かったことは、自分にとって右腕、左腕と思うくらい大切に思っていた門下生が私のもとを離れていったことです。 当時の私は「裏切られた!」という想いと悔しさでいっぱいでしたが、今振り返ると、すべては私の責任だったとわかります。 私は完全に天狗になっていました。 私の言うことは絶対で、誰もが私の言うことを聞くべきだ。 そんな姿勢で私は他者と関わっていたのです。

 

……そしてそんな出来事が続く中、私は最愛の父を亡くしました。 「どうして私だけがこんな目にあうの?」そう思い悩み、本当の自分自身の問題に向かい合うのを避けている間に、私は最も大切な人の死に目にも会うことができなかったのです。

「鹿児島の影」からの脱却

 

起業家として成果を上げ、天狗になっていた私は、本当に多くのものを失いました。しかし同時に、そこから多くのギフトも得ることもできました。

 

そのギフトの中でも最も価値があったのが、私が知らず知らずの内に囚われていた「鹿児島の影」から脱却できたことでした。

 

私はそもそも、子供の頃の鹿児島の家族の影響で「働くのなら、絶対に『お金』と『人脈』と『影響力』を手に入れて自分の好きなこと、やりたいことで成功する!!」と決意したとお話しましたね。

 

しかし、いつのまにか私はその夢を追うのではなく、影、すなわち、「鹿児島の家族のようになりたくない!」と言う想いに囚われていたことに気がついたのです。 自分の「表」の状況が輝けば輝くほど、私の中の影がどんどん大きく私の後ろから迫ってくる。 だから休めないし、休まない。 だから、周りの人に鹿児島の影を見て辛くあたる。

 

「鹿児島から逃げ出したい」

 

そう願いながら、私自身が生み出した不自由の呪縛に囚われていたのでした。

 

それに気がついた私は、私が子供の頃に抱いた鹿児島への恨みつらみとサヨナラしました。 長い時間をかけてゆっくりと、「鹿児島の家族みたいになりたくない!」という想いに向き合い、すべて解決していったのです。

 

今、私には心から信頼できる門下生がいます。 彼らは誰よりもお客様の下支えになるべく多くの経験を積んで来ています。 うまくやることを誇るのではなく、自分の経験を他のメンバーが再現できるように記録に残す。 そんな本当の志を持ったメンバーです。

 

私はあまりにも短期間で、あまりにも大きな成果を出すことに没頭しすぎ、多く大切なものを失いました。 しかし、一方で、このピンチは私に最高のギフトをくれました。

 

今、私にとって仕事は復讐の道具ではありません。

 

私にとってビジネスは、多くの方が自由と豊かさを手にすることができる最高の「大人が没頭できる遊び」です。 一心不乱に仕事を、まるで遊びのように楽しむことで、私達はたった1人からでも「頭とスマホとパソコンがあれば、個人が世界を変えることができる」のだと私は今、心の底から信じています。

たくさんの挫折と経験の先に手に入れたもの

 

いろいろな挫折や経験を経て、私は鹿児島の家族の気持ちを受け入れられるようになりました。子供の頃、不自由な想いに押しつぶされても、なぜだか「働く」と言う選択肢は持ち続けたのは、もちろん、

 

「働くのなら、絶対に『お金』と『パワー』と『影響力』を手に入れて自分の好きなこと、やりたいことで成功する!!」

 

と決意したから。

 

しかし子供の頃の自分に向き合う中で、私が自由を諦めなかったのは、子供の頃の私が「両親にも、鹿児島の家族にも、そして鹿児島のみんなにも、自分の人生を生きてもらいたい!」と強く願ったからだと私は気がついたのです。

 

幸いにも母はまだ元気です。確かに子供の頃、私は両親の私への「女の子」扱いが嫌いでした。「両親は絶対に私のことを認めてくれない」そう思っていました。

 

しかし、自分の想いを振り返ることで私は気がついたのです。両親にとって、私は本当に大切な存在で、私が学校で一番を取ろうと取るまいと、私がどんなにいい子だろうと悪い子だろうと、両親には私が「宝物」だったのだと。

 

両親はそんな私が、大切な1人娘の私が「傷つかない」それを一番大切にしていてくれたのだ、と。実際、鹿児島の家族は今、私にこう言います。

 

「鹿児島のことはいいから。 由紀ちゃんは、自分の好きなことをして自分の人生を生きなさい」と。

 

……そしてだからこそ、私はそんな支えとなってくれる鹿児島の人々のためにも、個人が自由と豊かさを手にできる世界を私の手で創り上げる! 私はそう思っています。

USPプロデューサー 鉾立由紀の目指す世界

 

今、私はUSPプロデューサーとして見ている夢があります。

 

誰もが、頭とスマホとパソコンを活用して、国にも会社にも仕事にも縛られず、自分で『唯一無二の』仕事を創り、自分を誇れる仕事を創れる世界。 世界中の誰もが、まず自らが豊かとなり、周りの人と共に豊かになれる世界。

 

私は、そんな想いと共に、USPプロデューサーとして、再度、多くの起業家の方々のUSP創造に向かい合っています。

 

私が再び右手、左手と言える力強いパートナーたちと再び立ち上がってから、まだそれほど長い月日は経っていません。

 

しかし、今、ここで私は誓います。

 

自分だけの「選ばれる理由(USP)」を軸に、自身の「在り方」、「考え方」から生み出される「コンテンツの創造力」で勝負していく人材が、本気で世の中を切り拓くことができる。

 

私はそんな可能性に満ちた世界を作り上げます。

 

これからもまだまだいろいろな逆風も吹くでしょう。 しかし、私の心が折れることは絶対にありません。

 

「『頭』と『スマホ』と『パソコン』があれば、個人が世界を変えられる!」

 

そんな世界を実現させていくと、私は決断しています。

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